【黄金の華】江戸幕府を金銀改役として支えた後藤庄三郎の物語

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江戸時代も現代日本と同じく経済が政治の大本。徳川家康は江戸に移ってから、ウィリアム・アダムス・大久保長安・天海・崇伝など外国人・金鉱山師などをブレーンに登用。中でも金銀改役として活躍したのが「後藤庄三郎」。

江戸幕府草創の経済を支えた後藤庄三郎の物語を描いたのが、【黄金の華】。筆者は火坂雅志さん。あとがきには、金座を支配した後藤家の屋敷は、日銀の場所にあり、徳川幕府の日銀総裁的立場にあったと記されています。

江戸時代は、大奥・朝廷・後藤家を三禁物と呼ぶ程、うかつに手を出せない存在でした。

小判を貰う商人


黄金の華:後藤庄三郎物語

戦国時代は、日本でゴールドラッシュが沸き起こった時代。石見銀山・甲州金山・佐渡金山など多くの鉱山で大量の金銀が掘り出され、織田信長・豊臣秀吉の天下統一を助けました。産金量が増えるのはいいことながら、下手をすると金価格が下落して大幅なインフレを招いてしまいます。その対策もあって秀吉も堺や京の商人を重用したのでしょう。

黄金の華の主役となる後藤家は、秀吉から大判作りを任された家。世界最大の金貨「天正大判」を制作したのが後藤庄三郎の養父である後藤徳乗。

この物語では、徳川家康の依頼によって江戸に下ることになった後藤庄三郎が、豊臣の衰えと徳川の成長にあわせて京の後藤本家をしのぐようになった生涯。黄金の魔力に負けずに、江戸幕府の経済を確立した過程を生き生きと描いています。中でも同じ経済官僚として、ライバルとなった大久保長安との暗闘は物語の華。

徳川家康の座右の銘的に言われる「過ぎたるは及ばざるがごとし」に関わる話なども面白い。

後藤庄三郎の進言、「天下に出回る金銀の量は一定であるべきでございます。無秩序な経済開発は世に混乱を招きましょう」は、当時の貨幣である金価格を下落させるインフレを食い止めるためのもの。

小野盛司氏は、江戸時代の幕府保有金銀高(飯島千秋:江戸幕府貯蓄金銀と蓮池御金蔵)や米価についてまとめていただいています。

米価は一石が約一両程度で長期的に安定していたことが分かるが、短期的な変動は常に見られる。当時の米作は冷害に弱かった。何度も飢饉に見舞われ、そのたびに大量の餓死者を出した。そのため、米価は不安定だった。通貨増発による値上がりであれば、上がったら下がらないが、飢饉による値上がりの場合は、豊作の年には下がっている。日本経済復活の会

天下の貨幣を安定させ、それによって民の暮らしを安んじさせたいという願いの元に、幕府の基礎を築いた男。金価格や貨幣の需給を考えるためにお手すきな時に一読するのも一興だと思います。

彫金後藤は祐乗を祖とする,室町時代から続く彫金師の家系です。五代徳乗のとき,秀吉から関東下向の命が下った際,弟子の橋本(一説には山崎とも)庄三郎に後藤姓と光の一字を与えて名代として遣わせました。その後,庄三郎は家康に可愛がられ,外国人から「家康の財務長官」と呼ばれるほどになりました。レファレンス共同データベース