徳川埋蔵金3千億円の財宝:2016年は、林修氏が挑戦

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TBSの名物番組、徳川埋蔵金3千億円の謎に、林修さんがリポート。

江戸幕府が倒れ、360万両とも言われた御用金。新政府側が江戸城に入った時に、巨額の財宝を抑えようと期待していたものの倉は空っぽ。

幕府の金倉はからっぽ?

幕府の御用金は、勘定奉行だった小栗上野介が隠したとの伝説が伝えられています。ただ、当時の幕府は、財政破綻状態。洋式軍隊・洋式軍艦の発注や長州征伐の軍資金・外国への賠償金で火の車。戦をする軍資金も殆どなかったのかも。
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明治政府は、幕府の債務を踏み倒した上で、商人達から300万両もの新規徴発を実施。

国内と海外の金銀交換比率の違いから、国内にあった金はかなりの量が海外に流出していましたしね。海外は、銀よりも金の価値がかなり高く、日本の安い金価格を利用してハリスをはじめボロ儲けをしたという記録が残っています。

徳川埋蔵金は3000億円?

借金で首が回らなくなった江戸幕府。とはいえ、まったくお金がないわけではありません。赤字で債務超過の会社でも現金がいくらかはあるはず。

大坂から徳川慶喜が逃げ出したことで、幕府側の命運は尽きました。そこで、勘定奉行の小栗上野介忠順が埋蔵金をどこかに隠したという説があります。

明治政府も幕府の埋蔵金を必死に探しましたし、少々の小判や金塊位は隠されているかもしれませんね。

その隠し崎候補が、群馬県。小栗忠順は、奉行を辞任した後、群馬県の群馬郡権田村で暮らしており、その周辺に埋蔵金があるという噂が飛び交いました

  • 井伊直弼が、赤城山麓に埋蔵金を隠すと計画
  • 勝海舟の日記に、軍用金として360万両あると記載
  • 赤城山中の双永寺が見張り場所

智義が蔵人のもとに駆けつけてみると、蔵人は病に冒されており、明日をも知れぬ体であった。その蔵人は、智義に向かって予期せぬ話を始めた。それは、幕府の勘定吟味役であった蔵人が 、慶応4年(注・幕府が滅亡する年)の1月から4月、幕府の要人の指示で甲斐国甲府に赴き、甲府城代の柴田監物とともに甲府の幕府御金蔵にあった24万両を上野国榛名山方面に運び、その地へ隠匿した、というものであった。また、やはり要人の指示を受けた別働隊によって江戸から数百万両の御用金も上野方面に運ばれて隠匿されたはず、と蔵人は続けた。日本で最も有名な埋蔵金伝説!

幕臣の中島蔵人が埋蔵金を隠したとの話が伝わっています。

渋川駅

今回の放送で、有力視されたのは、群馬県渋川市赤城町長井小川田