プラチナの語源と最古の製品「テーベの小箱」

<スポンサーリンク>

プラチナも金と同様に、宝飾・装飾品として利用されてきました。ただ、プラチナは金以上に貴重で産出が少ないため、利用頻度は、金銀と比較して非常に少ないものです。

現在、残っている最古のプラチナ製品は、テーベの小箱と呼ぶ化粧ケース。ルーブル美術館のコレクションから探してみましたが見つけられませんでした。

最古のプラチナ「テーベの小箱」

古代エジプト、テーベ王国の女性神官シェペヌペットの墓から出土した小箱。ルーブル美術館に収蔵。 紀元前700年頃、第25王朝のテーベ王の娘で、神官であったシュペヌペット1世の墓から出土。

テーベの小箱(Thebes casket)は、全てプラチナで作成されているわけではなく、金銀で作成した化粧ケースに、プラチナの象嵌細工をほどこした製品。象形文字で物語が彫り込まれています。

ただ、プラチナは金よりも扱いにくく広く利用されていたわけではありません。

プラチナの語源

16世紀に、スペインが中南米を侵略して、銀とともにプラチナを持ち帰りましたが、融点の高さから利用できずに廃棄処分!にしたこともあるほど。何ともったいない。

プラチナの輝きは銀に似ている

プラチナ

1735年、スペインの探検家が、コロンビアのピント河で、白い金属を見つけて持ち帰ったことが語源となりました。スペイン語でプラチナ・デル・ピント(ピント川の白い銀)。南米諸王国紀行を出版した探検家「アントニオ・デ・ウジョーア」が発見者。

アントニオ・デ・ウジョーアはスペインの軍人、探検家、天文学者、最初のルイジアナの行政長官である。1735年にペルーに渡り、1744年までそこにとどまり、1748年『南米諸王国紀行』を出版した。プラチナ鉱石についての記述があるためプラチナの発見者とされる。

アントニオ・デ・ウジョーア

プラチナは、銀や金と似た不思議な金属として見られており、錬金術の材料にされたことも。1751年、スウェーデンの研究者シェーファーは、ヒ素を添加することで溶融プラチナに成功。ようやくプラチナが工業・宝飾として、大量に利用できる道筋が出来ました。

今は、金や銀よりも貴重な金属として、金価格よりも高値を付けることが多いプラチナも最初は不遇の存在だったのです。

白金バー

和名:白金の語源

一方、プラチナの日本語訳「白金」は、江戸時代の蘭学者、宇田川榕庵(ようあん)が著した化学書「遠西医方名物考補遺巻八」(えんせいいほうみょうぶつこうほい)に、白金(一種銀色の金属、原名プラチナ)と書かれており、これが、本邦初のプラチナを白金に訳した言葉と言われています。宇田川榕庵は、酸素・水素といった元素をはじめ還元・細胞といった用語も翻訳・命名した人物で、日本近代科学の発展に大きく影響を与えた人物。