日本に眠る埋蔵金伝説:金探しに夢を賭ける男たちのロマン

古来より現代まで貴重な価値を持つ金属として珍重されていた金。物語では、古代の宝を発見したものの当時は貴重だったワインや塩だったりと見つけてがっかりということも多いもの。

日本の埋蔵金伝説

その点、金貨や小判など金を埋蔵金として隠していれば、現代でも高い価値を持ちます。有名なものから無名なものまでご紹介しましょう。金価格の上下は一時忘れて雑学に没頭するのも乙なもの。

日本がゴールドラッシュに湧き、経済的・軍事的に強く著名人がいた戦国時代の埋蔵金が中心です。


豊臣秀吉の多田銀山

信長の後継者として戦国時代を統一した豊臣秀吉。

全国の金山・銀山を統括し、商業推進をモットーにした豊臣家の財力は恐るべきもので、天正16年には黄金5000枚、銀30000枚を全国の大名・公卿に与えた「太閤の金配り」を行うなどの大盤振る舞いをしています。黄金の茶室も有名。当時の金価格もいつか調べてみます。

ところが、晩年の秀吉は往時の活気はどこへやら、猜疑心が強く息子秀頼への愛着だけの人物になってしまいました。大坂城にも多額の財宝が溜め込まれていたとはいえ安心できなかったのか莫大な金(約4億5000万両)を多田銀山の坑道に埋めたといいます。

昭和初期に、豊臣家家臣が淀君に渡したとされる文書が発見されて、埋蔵金発掘ブームがおきました。その時は何も見つからなかったものの、奥深くには隠し坑道があるのではないかと考えられ、今も人々のロマンをかきたてています。

多田銀銅山 悠久の館:兵庫県川辺郡猪名川町銀山字長家前4番地の1


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秀吉の黄金はどこに

武田信玄の甲州埋蔵金

甲斐国、伝説のヒーロー「武田信玄」、公をつけず呼び捨てにしては罰があたると山梨県の英雄です。

信玄公が甲信地方を中心に版図を広げられた原因の一つが甲斐国およびその周囲で生産された金の力。武士を雇い・武具を買い・城を築き、戦争をするにはお金が必要。

信玄の力は「金(ゴールド)」だったのです。

鉱山を開発し生産をするには、専門家を雇い探鉱をするなど投資が必要。

武田家では、父の信虎時代から金生産に力を入れ、信玄が一気に金投資を拡大しました。

そのための専門家「金山衆」を集めて掘らせるとともに他国の金鉱山を次々に手中に収めていきます。その中には有名な黒川金山をはじめ、雨畑金山・中山金山・麓金山・津具金山などがあります。

信玄は上洛途中で病に倒れ無念の病死となり、後継の勝頼の時代に武田家は滅びます。

残念ながら、金の生産量は勝頼の時代には減少していき甲信の領民に対する負担が増したことも武田家滅亡の要因だったという説もあるほど。

ただ、大量に生産した金を使いすぎると金価格の下落に見舞われることから、一部の金は隠されていたのではという埋蔵金伝説が残っているのです。

武田家の衰えを感じていた勝頼は、いざという時のために膨大な量を山梨県甲州市の北部に位置する「鶏冠山」の山中に隠したと言い伝えられています。


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冬のアルプスを越えた佐々成政の「さらさら越え」

越中富山城主「佐々成政」は、柴田勝家の組下として本能寺の変を迎え、勝家とともに秀吉に抵抗していました。

柴田勝家が滅んだ後も一度は降伏したものの織田信雄・徳川家康連合軍が秀吉軍に挑むと成政も反旗を翻します。

ところが、織田信雄が秀吉と和睦し、家康も休戦したため進退極まってしまうのです。

西は秀吉方の前田家、東も秀吉方の上杉家、南は雪のアルプス。男成政は、アルプス越えを決断。

雪山を乗り越えて東海道にいる家康に決起を促すために会いに出かけるのです。

戦国時代の武士は、半端ないですね。

数十名で旅立ち到着したのはわずか数名。しかも、せっかく会えた家康も当たり障りのない返事ばかりで、成政・家康連合で秀吉に挑むとは言ってくれません。

失意の成政は、再び、アルプスを超えて越中富山に戻り秀吉に降伏。

この旅を「さらさら越え」といい、軍資金を山中に隠したと言われます。場所は、富山県富山市の鍬崎山周辺。秀吉や信玄に比べるとスケールは小さいながらも百万両の埋蔵金と伝えられており興味深い話しです。


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