最終的に天下をとった徳川英安の江戸幕府の初期を財政面で支えた人物が大久保長安。彼は、金を扱うことで、天下にその名をとどろかせました。
武田信玄に仕えた猿楽師の出身で、徳川家康に仕えた後に譜代の家臣「大久保忠隣」の庇護のもと、大久保姓を名乗ります。
金山奉行を務める大久保長安
徳川家は、戦に強い武将が多い家で、政治や経済方面が得意な武将が少ない家だったために、大久保長安の治世能力は重宝されています。三河武士の強さと忠義は、天下に轟きました。軍師・策士的存在となった本多正信などは、可哀そうに、腸の腐った奴などと罵られています。
そんな徳川家にあって、長安は、関東代官頭や佐渡金山・生野銀山などの奉行を任され全国の金銀山を支配することになります。
戦国時代の金銀山
戦国時代の日本は、ゴールドラッシュに湧いた時代。世界最強といってい陸軍(戦国武士)を持てたのも、戦の経験と鉄砲の装備率の賜物で、それを財政面で支えたのが、金・銀・銅などの貴金属や金属でした。
いまも、石見銀山・生野銀山・銀山温泉・佐渡金山・土肥金山・黒川金山などの名前が残っています。当時も今も金価格の動きは政府の関心事。
鉱石から金や銀を吹き分ける「灰吹き法」が、朝鮮半島や欧州から伝わったことで、各地で金銀の採掘量が増えました。また、その技術を持つ技術者やそれを束ねる頭が重宝されたのです。
大久保長安は、猿楽師の家だったことから、全国を行脚した可能性・同じ猿楽師仲間から技術や情報を伝えられた可能性があり、そういった最新技術を持っていたか集団の頭格として力をつけていきました。スペインから伝わったアマルガム法を利用していた話・キリシタンだった話など様々な逸話や謎が残されています。
武田金山衆の精錬技術(猫のまにまにブログ)
天下の総代官・驕りもの:大久保長安
大久保長安の権勢は、大きく大名の間に強い人脈をつくり、女好きで多数の側室を鉱山視察に連れて回ったと言われています。一説では、伊達政宗と組み幕府転覆を図ったなどの話も残っています。天下の総代官・驕りものとの異名を取る中、晩年に金銀山の採掘量が減っていったことで力を失っていきました。
当時の鉱山事業は、独占事業で許可を与えるのは幕府・請け負えるのは特殊技能を持つ集団だけでしたから、金銀を掘り出せる限りにおいては、いくら権勢を誇り豪奢な生活をしていてもお咎めはなかったわけです。
黄金の棺と大久保長安
このように金(マネー)と金(ゴールド)に彩られた人生を生きた大久保長安は、死後、黄金の棺に自分を埋葬するように遺言します。
黄金の棺は、エジプトのファラオ「ツタンカーメン」で有名なあれです。
●ツタンカーメンの黄金の棺
しかし、このような奢り高ぶった姿に、長安の死後、家康の怒りが爆発します。大久保長安が不正蓄財をしていたという疑惑をかけて遺児7人は処刑・縁戚関係の大名は改易・長安の遺体は掘り返して駿府の安倍川でさらし首にされてしまいます。
これは、その後、大久保家と本多家の間での権力争いに巻き込まれた・不正に対しての見せしめ・徳川家への謀反・徳川家後継者争い問題などが原因だったといいます。真実はいまとなっては知るよしもありません。
大久保長安の逆修墓のある恵珖寺(えこうじ):島根県大田市
戦国時代は、戦の強い大名が勝ち残ったというイメージを持たれていますが、織田・豊臣・徳川はもちろん、島津・大友・武田・上杉・北条・毛利などの大大名は、金銀山を保有・開発や鉄砲・貿易などの経済力を理解し重視した側面が大きいのです。
大久保長安の埋蔵金伝説
このように謎に包まれた大久保長安の実像ですが、さらなる謎として埋蔵金があります。徳川埋蔵金など日本各地に散らばる中で、大久保長安の伝説もあります。
死後の幕府の仕打ちを予想していた長安は、箱根の山の中に膨大な黄金を隠したというのです。
富士山の見える、黒い花のつつじの木の下に埋まっている」との伝説が箱根付近にあるそうです。:路地裏便り
箱根仙石原の秋にたなびくすすき野、その中に黄金が埋まっているのでしょうか?