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  1. 雑学や歴史
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ニクソンショックで金本位制が崩壊する流れ:わかりやすく

金本位制は、ドルと金をリンクさせるシステムで、ブレトンウッズ協定から1971年のニクソンショックまで続いた制度。

第二次世界大戦末期の1944年7月にアメリカのニューハンプシャー州ブレトンウッズで開かれた連合国会議で決まった体制がブレトンウッズ協定。

これは、国際通貨基金(IMF)の設立や通貨価値の安定・貿易振興を目的とし、世界の列強がブロック経済圏を確立させようと世界大戦を招いた事態を再び起こさない安定した政治経済体制作りを目指す仕組み。

金本位制とブレトン・ウッズ体制による固定相場

米ドルを基軸通貨として、金1オンス=35米ドルに固定し、各国通貨のドルに対する交換比率を定めたもの。

このとき、二度の大戦で疲弊した欧州に変わり。米国が世界の覇権を握ります。米国は世界の貨幣用金の75%を保有し、本土は戦争の直接被害を被らず世界最強の国として君臨していたのです。

金(Gold)と米ドルをリンクさせることで、ドルの貨幣価値を金で裏付け、価値の安定を目的としています。=金本位制

保有する金を増やさなければ、新たに通貨を発行できないため、経済危機などで、大量の通貨を供給したくてもできないという欠点が存在します。

金本位制の欠点

政府は、社会保障の維持・戦争・人気取り政策などで、お金が必要なことから、多くの通貨を発行したいという潜在的なニーズを持ちます。そして、後の通貨安を招くのが歴史的な学び。金本位制は、原則として、中央銀行は保管している金と同額の紙幣までしか発行できないことから、増刷を防ぎ、紙幣の価値を維持します。

ブレトン・ウッズ体制以前から金本位制は存在しましたが、戦後のスタートはここから。

戦後の米国経済は覇権から後退へ

米国は、1950年代は経済成長したものの60年代に大きな躓きに見舞われます。

軍事費増大とベトナム戦争

ソ連との冷戦による膨大な軍事費負担、そしてベトナム戦争による戦費の増大による負担に資金的・精神的に耐えられなくなってきたのです。これが、金本位制の崩壊を招きます。

当時の米国社会の様子は、ベトナム戦争を描いた数々の映画でご覧いただけます。

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ジョンソン政権の偉大な社会

そこで、ジョンソン政権は、停滞した米国民の自信回復のために「偉大な社会」(Great Society)をスローガンとして打ち出します。

貧困撲滅・教育・インフラ整備など社会福祉や公共事業にお金を使う政策でしたが、ただでさえ戦費の増大に悩む米国をさらに財政難に陥らせることになってしまいます。

1960年度:冷戦時ベトナム戦争直前
軍事支出は481億ドル:政府支出921億ドルの52.2%。
1968年度:ベトナム戦争中
軍事支出は819億ドル:政府支出1,781億ドルの46.0%。
1974年度:冷戦後期
軍事支出は793億ドル:政府支出2,693億ドルの29.5%。
アメリカの軍事支出データ

貧困対策への尽力・そして、人種差別を撲滅する公民権法の成立(1964年7月2日)など功績も残していますのでダメ大統領というのも可哀そうですが。

ニクソンショックと金本位制の終り

冷戦・朝鮮戦争・ベトナム戦争などで、米国の国力は低下し、保有する金は減少していきます。

1950年代前半は約220億ドル保有していた貨幣用の金(Gold)は、1960年末には30億ドル以上も減少。

さらに、1957年頃から芽吹いたインフレの芽が1960年代に入ると吹き荒れます。

戦費・社会保障費の増加やインフレは、米ドルの価値を減らします。しかし、基本本位制の元で、金とリンクされた固定相場ですから、投資家や資産家は金投資を行い需要は増えます。

金プールの設立と終わり

米国のインフレや財政危機で米ドルの信認が薄れたことから、金需要が強まると1オンス=35ドルの公式価格が破たんします。

そこで、米国・イギリス・ドイツ・フランス・イタリア・スイス・オランダ・ベルギーの各国が共同で資金を出し合って設立した基金が「金プール」です。

金価格が35ドルを超えそうな時には、金プールが市場で金を売り、価格を抑えます。

ところが、金投資への需要は増え、フランスのド・ゴール大統領が上昇を支持します。さらに1967年にフランスは金プールから脱退。

これで、基金は損するばかりで耐えられなくなってしまい。1968年3月17日に、金プール制度は終了します。

金プールの崩壊で、金相場は、中央銀行が取引する1オンス=35ドルの公式価格と、自由市場で取引する変動相場の二重制となってしまいます。

1968年の4月には、ロンドンの金市場では、40ドルを超えていましたから、各国の中央銀行は米国から35ドルで金を買いロンドンの市場で売れば確実に利益が出るという誘惑にさらされます。

これは、大きな転換点で、金価格の引き上げの道が整備されたのです。

金本位制が崩壊した状況

1.米国の債務(財政赤字と貿易赤字)は増大し米ドルの発行増加で信認は薄れる

2.ドルの信頼低下で金人気が高まり米国の金準備は減少

3.ドルの増刷によるインフレ

4.有力な産金国の南アフリカはアパルトヘイト、ソ連は共産圏と協力を得にくい。

5.自由市場での金価格をコントロールすることは不可能

という状況に陥ったのです。

金本位制の元ではドルの増刷に制限がかかるはず。しかし、米国は、政府支出の増加に合わせてドルを増刷しており、すでに根本から崩れかけていました。

なんと、ドル発行残高は、1969年末に金の約2倍そして1970年末に約5倍にまで膨らんでいます。

ニクソンショックによる金とドルの交換停止

もはや、ドルと金は35ドルを維持する関係を続けることができなくなりました。

米国政府は、欧州各国に対ドル通貨の切り下げを求めますが、ハイパーインフレを恐れる各国政府は応じず、逆に過剰な米国の財政支出を非難します。

さらに、欧州各国は、ドルを金地金に交換する動きを加速したことから、ニクソン政権の経済運営は大きな打開策を求められるのです。

1971年8月13日からの会議(キャンプ・デービット)でニクソン大統領は政府要人を集めて新経済政策を策定。

1971年8月15日に、テレビとラジオで公式声明を発表=ニクソンショック

市場が開く前の日曜日の夜に発表であり、議会への提案や説明もなく政府の独断で行った政策です。

ニクソン大統領の新経済政策と演説

金とドルの交感停止以外にもいくつかの政策を発表

減税と政府支出の削減
雇用促進策
物価と賃金の管理
金ドル交換停止
10%の輸入課徴金の導入

・投機家からドルを守るよう財務長官に支持
・諸外国は大きな経済力を持ち、世界の自由を守る義務を公平に負うべき
・為替レートが是正されるときがきた
・米国がハンデを負いながら競争する必要はない
・世界の経済的リーダーシップを手放す

このニクソンショックにより金本位制は実質的に終了しました。

日本や西ドイツは、為替相場が固定されていたおかげで急成長し貿易黒字が拡大しました。本来は、為替レートが高くなることで調整されるはずですが、金本位制の固定相場であったため通貨安の状態で成長し続けられたのです。

ニクソン大統領の宣言により今に続く変動相場制が幕を開けたのです。

スミソニアン協定で金価格は38ドルに設定

1971年12月に、米国ワシントンのスミソニアン博物館で各国の蔵相会議が開かれ、ドルと金との固定交換レート引き上げおよびドルと各国通貨との交換レート改定が決定(スミソニアン協定)

金価格は、1オンス=35ドルから38ドルに設定されて、ドルの7.9%切り下げが決まりました。もちろん、他通貨も変更されており、日本円は360円から308円へ16.88%切り上げが決定。

ただし、この時のロンドン市場の金価格は43~44ドルで取引されており、公式価格との差はまだまだ大きなものでした。

そのため、1973年2月に10%の切り下げが決まり、1オンス42.2ドルに決まりました。

市場での価格は公式とは関係なく推移

Gold Chart

金本位制の復活はありえる?

ニクソンショックによりドルとの強固な鎖を断ち切られた金(Gold)ですが、まだまだその灯を消したわけではなく、常に金復権を唱え研究している学者や政治家は存在します。その代表的な存在が「ロン・ポール氏

実際、金の裏付けを必要としなくなった米ドルは通貨発行量が増えていき、米国債を大量に購入する日本や中国への財政依存度が高まっています。

時折、聞く話の中には、巨額の米国財政赤字をチャラにするために金本位制を復活させてドルの価値を暴落させるという話があることをご存知の方も多いことでしょう。

●米国の財政収支の推移

財政収支の推移 - 世界経済のネタ帳

その前に、米国は金を大量に買い集めた上で金価格を高騰させドルを紙切れにし新通貨を発行し対外政府債務をゼロにするというシナリオです。

2000年代以降の金高騰でひそかに勢いを増しています。

古代より人類を魅了してきた金投資の魔力が無くなることはなさそうです。

この辺の話についてはいずれまた書いてみようと思います。

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